OHHASHI(オオハシ)
キャッチフレーズ
国産ハンドクラフトピアノの最高峰
創業者
大橋 幡岩(おおはし はたいわ)
創業年
1958(昭和33)年
製造国・本社所在地
日本(静岡県浜松市)
特徴
・「和製ベヒシュタイン」といわれる、透明感のある純粋な音色と繊細なタッチ
・昭和のピアノ名工、大橋幡岩氏による国産ハンドクラフトピアノの最高峰
・4639台のみが生産された“幻の名器”
主要モデル
【アップライトピアノ】
132B、132C、132D、132E
【グランドピアノ】
183G、210G、210MMo.170シリーズ、No.183シリーズ、No.210シリーズ、DR5シリーズ、D171シリーズ、D183シリーズ、DR211シリーズ、DR300シリーズ、DR500シリーズ、DR800シリーズ
歴史(略歴)
後のオオハシピアノの制作者、大橋幡岩氏は、もともと日本楽器製造(現ヤマハ)で13歳より入社してピアノづくりに大きく貢献し、「図面ができると音が聴こえる」といわれた天才ピアノ職人でした。当時の技術責任者であった後の河合楽器製作所の創業者、河合小市(かわい こいち)氏等のもとで才能を開花させ、昭和期のピアノ名工として小市氏と並び称されるピアノ技術者となりました。
その後、労働争議を経て低コスト・大量生産へ大きく方針転換する日本楽器に反発した幡岩氏は、理想のピアノ作りを求めて独立し、1948(昭和23)年には浜松楽器工業に招へいされディアパソンピアノの設計・製造を開始しました。そして1958(昭和33)年に同社が河合楽器製作所に吸収合併されたのを機に、「大橋ピアノ研究所」を創設し、後に“幻の名器”と称されるようになるオオハシピアノの制作に取り掛かりました。
「自分の名前を付けられないようなピアノは作るな」と、弟子達を叱咤激励した幡岩氏。大橋ピアノ研究所で制作されたピアノのブランドには自らの名“OHHASHI”が付けられ、採算を度外視して理想を追求し、手間を惜しまず、幡岩氏の才能と厳選された素材、職人達の手作りによるオオハシピアノは、幡岩氏が晩年にようやく到達した理想のピアノの完成形でした。
当時の日本楽器がベヒシュタイン(ドイツ)のピアノに習っていた事もあり、幡岩氏が目指したピアノはベヒシュタインのピアノでした。“和製ベヒシュタイン”と称されたオオハシピアノは、豊潤で透明度の高い音色と、演奏者の表現に素直に応えるタッチが特徴です。
大橋ピアノ研究所は、1980年に幡岩氏が84歳で逝去したのち、2代目の巌(いわお)氏が引き継ぐも1995年に急逝。既に注文を受けていたピアノを製造した後、惜しまれつつも自主廃業しました。
オオハシピアノは、大橋ピアノ研究所の創業から廃業までの37年間で4639台のみが生産されましたが、今や現役のモデルが希少となり、“幻の名器”といわれています。