YAMAHA(ヤマハ)

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キャッチフレーズ

世界シェアNo.1の世界最大のピアノメーカー

創業者

山葉寅楠(やまは とらくす)

創業年

1889(明治22)年(山葉風琴製造所)

製造国・本社所在地

日本(静岡県掛川市)/東ジャカルタ(インドネシア)/杭州(中国)/ベトナム
静岡県浜松市中区中沢町10番1号

特徴

・ピアノの世界歴代製造台数No.1を誇る、国内ピアノブランドのパイオニア

・明るく伸びのある音色と、軽やかで操作性に優れたタッチ

・世界各国での大量生産で培った、優れた品質と安定感

主要モデル

【アップライトピアノ】

U1シリーズ(U1、U10、U100他)、U2シリーズ、U3シリーズ(U3、U30、U300他)、U5、U7、UXシリーズ(UX、UX1、UX10、、UX100、YUS、YUX 、UX3、UX30、UX300、UX5、UX50、UX500他)、Wシリーズ(W1、W100、W201、W202、W3、W500他)、WXシリーズ(WX1、WX3、WX102、WX5A他)、HQシリーズ(HQ90、HQ100、HQ300他)、YUシリーズ(YU1、YU10、YU11、YU3、YU30、YU33、YU5、YU50他)、YF101、YUSシリーズ(YUS1、YUS3、YUS5他)、bシリーズ(b113、b121)、センチュリーカスタム(創業100周年記念モデル)

【グランドピアノ】

Gシリーズ(G1、G2、G3、G5、G7、G2Ch他)、Cシリーズ(C1、C2、C3、C5、C6、C7、C2Ch、アーティスティック・エディション他)、CXシリーズ(C1X、C2X、C3X、C5X、C6X、C7X、C2XCh、アーティスティック・エディション他)、Sシリーズ(S400B、S400E、S700E、S4、S6他)、FC、CFシリーズ(CF、CFⅢ、CFⅢS、CF4、CF6他)、GC1SN、A1シリーズ(A1、A1S、A1R、A1L、A1AE他)、Z1、GB1K、センチュリーカスタム(創業100周年記念モデル)

製造番号表

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西暦 和暦 製造番号
1900 明治33年 製造開始
1926 昭和1年 10,000
1934 昭和9年 20,000
1938 昭和13年 30,000
1947 昭和22年 40,000
1952 昭和27年 50,000
1954 昭和29年 60,000
1956 昭和31年 70,000
1957 昭和32年 80,000
1958 昭和33年 90,000
1959 昭和34年 100,000
1960 昭和35年 120,000
1965 昭和40年 370,000
1970 昭和45年 980,000
1975 昭和50年 1,950,000
1980 昭和55年 3,030,000
1985 昭和60年 4,040,000
1990 平成2年 4,820,000
1995 平成7年 5,390,000
2000 平成12年 5,860,000
2001 平成13年 5,920,000
2002 平成14年 5,970,000
2003 平成15年 6,020,000
2004 平成16年 6,06,000
2005 平成17年 6,100,000
2006 平成18年 6,150,000
2007 平成19年 6,180,000
2008 平成20年 6,220,000
2009 平成21年 6,250,000
2010 平成22年 6,280,000
2011 平成23年 6,310,000
2012 平成24年 6,340,000
2013 平成25年 6,360,000
2014 平成26年 6,380,000
2015 平成27年 6,400,000
2016 平成28年 6,420,000
2017 平成29年 6,440,000

歴史(略歴)

1887(明治20)年に、後のヤマハ創業者となる時計や医療器具等の修理工、山葉寅楠が浜松尋常小学校にあったオルガンを修理したのをきっかけに、日本で初めてとなるオルガンの制作を開始しました。

1889(明治22)年には山葉風琴製造所、1891年には山葉楽器製造所を設立して年間500台から700台のオルガンを生産していたが、次にピアノの生産を目標に掲げて1897年には日本楽器製造へと改組しました。

1900(明治33)年、寅楠の弟子で若干14歳で後の河合楽器製作所の創業者となる河合小市(かわい こいち)と、寅楠の姪で若干19歳であった山葉直吉(やまは なおきち)がピアノ製造を任され、ベヒシュタイン(ドイツ)等の輸入ピアノに学びながら国産第一号のアップライトピアノ「カメン・モデル」を完成させ、1902(明治35)年にはグランドピアノを完成させました。

その後も1908(明治41)年頃には年産100台、1911(明治44)年には500台を超え順調に生産台数を伸ばしましたが、1926(大正15)年に労働争議が起こり、河合小市と山葉直吉は退職し、住友電線の取締役であった川上嘉市氏が社長に就任し、それまでの職人の経験に頼ったピアノ作りではなく数値や科学的根拠を持ったピアノ作りに生産の方針を転換し、国内のシェアを独占していきました。

第二次大戦では浜松にあった工場は空襲により焼失しましたが、終戦の2ヵ月後にはハーモニカなどの小型楽器の製造を再開し、1947(昭和22)年にはピアノの生産も再開し、戦後の復興需要により1951(昭和26)年には5595台を生産するまでになりました。

また、スタインウェイのピアノに負けないピアノを作ること、高く評価されるピアノの生産を目指すと同時に、1951(昭和26)年には東京・銀座に旗艦店をオープンさせ、より安価で品質の高いピアノの生産を目的に1953(明治28)年には世界初のピアノ生産のライン化をスタートさせ、1961(昭和36)年にはJIS(日本工業規格)取り入れ、製品の精度向上や規格化が図られました。

1958(昭和33)年にはメキシコに、1973年にはアメリカに工場を設立してアメリカ市場へ本格的に参入し、輸出もヨーロッパ各国を始め本格化させて、1964(昭和39)年には138,483台、1968(昭和43)年には215,781台、その後1980年代初頭まで年間20万台以上を生産し、世界のトップメーカーへと飛躍しました。

山葉寅楠のオルガン修理から100年にあたる1987(昭和62)年に社名をヤマハ株式会社に変更し、現在では累積製造台数が6,400,000台を突破して、ピアノだけでなく世界最大の総合楽器メーカーとして現在も君臨しています。

名作

主要演奏者

アーティスト名
スヴャトスラフ・リヒテル(ウクライナ)
ヴィルヘルム・ケンプ(ドイツ)
ジョルジュ・シフラ(ハンガリー)
グレン・グールド(カナダ)
清水和音(日本)
仲道郁代(日本)
シプリアン・カツァリス(フランス)
上原ひろみ(日本)

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